「風葬」桜木紫乃 2008年

舞台となった閉鎖された田舎に息は苦しくなり、気持ちはどんどん滅入るのに、すいすい一気に読み終えることができた小説です。

読了後すぐは後味の悪い気持ちでしたが、時間が経過する程に気づきが出てきて感動するという、不思議な体験を初めてしました。

登場人物それぞれの目線が切り替わりながら物語は進みましたが、私が思うに、夏紀の母・春江の深い愛を描いた物語だったのだと感じました。

春江目線の描写はなく、夏紀から見た母・春江は、どんな人生を歩んできたのか、何を考えているのか、何を背負っているのか、何を隠しているのか、家族なのに距離のある存在でした。

夏紀が尋ねても答えてくれることはなく、親子なのに冷たくすら感じていました。

夏紀は認知症になった春江の口からでた「ルイカ岬」という場所を探して訪れ、母の過去を探し始めます。

嬉しそうに口にした春江の様子から、その場所が母にとって大切な場所であることを感じたからでした。

春江が東京にある実家から身重で駆け落ちし勘当され、現在の北海道に定住したことはわかったのですが、結局それ以上のことはわからずじまいでした。

夏紀は、母の認知症が進行する前に聞き出しておきたいと焦っていましたが、結局、母が言いたくなければそれでいいという結論を出しました。

夏紀とは全く無関係に思えた登場人物の目線から、夏紀親子の真相が明らかになりました。

教師を数年前に定年退職した徳一と、同じく元教師の息子は、それぞれ、生徒を亡くした後悔を抱えていました。

徳一がルイカ岬を詠んだ短歌が新聞に載り、夏紀はその場所を探し求め、徳一の元を訪れます。

夏紀を迎えた徳一は驚きます。なんと夏紀は、30年前に亡くなった生徒・彩子にそっくりだったのです。

30年前、駆け落ちした春江はたったひとりルイカ岬にある川田旅館に身を寄せていました。お腹の子を流産し、恋人は待っても待っても戻ってこなかったのです。

その時、ルイカ岬の近くに住む彩子が誰の子かわからない赤ん坊を出産しました。

助けを求められた川田旅館の女将が取り上げた時、女将は大事な一人息子が父親だということに気が付き、無理やり彩子から引き離して春江に渡していたのでした…

町の権力を握っていた女将は、産院にかけあい出生証明書の偽造も手伝い、二度と川田旅館と関わることはなく、夏紀は春江の子として育っていたのでした。

春江にとってのルイカ岬とは、流産し恋人に捨てられるという絶望した日々を過ごした末に、偶然生まれたばかりの夏紀と出会い、授かることのできた大切な場所だったのです。

川田旅館の女将との約束を守るために、口に出すことも、二度と訪れることもなかったのに、認知症になり本音が出るようになったら、本心ではまた訪れたい、春江にとっての奇跡が起きた場所だったのだなと感じました。

しかし、認知症になり、自分の言動に自信を持てなくなり、本当のことが夏紀に発覚してしまうことを恐れた春江は、自ら介護施設に入ったのでした。

きちんとした説明もなく勝手に施設に入り距離を置くという、一見すると冷たい母親なのですが、そこにある深い愛に気づくと、涙が止まりません。

冷たい母親と思われるよりも、本当の母親ではないとわかり夏紀を傷つけることの方が春江には辛かったのだなと感じました。

春江は東京で書道の大家である父の子として生まれ、何不自由なく育ったお嬢様だったはずなのに、それよりも、頼るもののいない北海道で書道教室を開き、女手ひとつで血の繋がらない夏紀を育てる暮らしの方が幸せだったとは、人それぞれ何が幸せなのか、わからないものです。

夏紀のために心を鬼にして嫌われ役を選んだ春江も、幼くして夏紀を生み離れることを嫌がった彩子も、悪事を重ねて息子を守ろうとした川田旅館の女将も、彩子を亡くして精神病院の隔離病棟に入院している彩子の母も、みんな、正しいか間違っているかは別として、母性ゆえの行動や結論なのだなと思いました。

血の繋がりに関わらず、母の愛とはすごいものです。子のためならば、鬼にでもなれる。そうありたいものです。

また、それぞれの中に正義があって、それをすべての人とわかり合うことはできないのは当然で、それでいいのだと思えました。

夏紀の父親である川田隆一も、悪行を重ねておきながら、陰ながら夏紀の成長を喜び幸せを祈っていたことに少し救われました。

夏紀は、真実を知ることなくこれからも生きていくのだと思いますが、真実をすべて知ることが幸せだとは言い切れないのだと思いました。